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中国(洛陽・上海)ツアーに医者として添乗(by 空飛ぶドクターさん)

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【あっさり初仕事】
2008年9月15日から19日まで、中国本土(洛陽と上海)へのツアーへ行って来ました。ついに添乗医師としての初仕事です! 仕事として、海外旅行に行くのが私の長年の夢でしたが、あっさりと実現しました。ある高校時代の同級生からの紹介です。ほんの一ヶ月前に催された大分市での同窓会で、顔見知り程度の同級生にも宣伝を兼ねて名刺をどんどん配りました。名刺には、職業として海外旅行医師添乗サービスと書いています。それを見て、出発の2週間前になって、電話がありました。ある社長さんが、お得意様招待旅行に一緒に行ってくれる医者を探しているという由で、もちろんすぐに承諾しました。彼女は依頼主の社長さんと家族ぐるみの付き合いのようでした。後で、社長さんから聞くところによると、社長さんは自分の主治医に仕事を休んで一緒にツアーに行ってくれる様に以前に頼んだことがあるけれど、断わられたそうです。当然です。普通の医者にはそんなことはできません。私自身は、この日のために3年前から非常勤医師(フリーター医師とも呼ぶ)になり、長期の休みが取りやすい体制をずっと取っていたのです。ですから、急遽その間の仕事を全てどたキャンして、初ツアーの仕事を受けたのです。正直、「招待旅行」というのは自分の想定外でした。

海外旅行は50回以上のベテランの私もお金をもらって海外に行くのは初めてです。お金をもらわなくても、無料で海外に行ったのも二度だけです。一度は、20年以上も前に高校留学のAFSのボランティアとして、シンガポールへタイ人と日本人の高校留学生の現地での飛行機の乗り換えの世話と、最終的に日本人と一緒に帰国した仕事でした。二度目はつい最近、メディカル・ツアーの視察のため、マレーシア観光局の招待でクアラルンプールへ行って来ました。

その会社は大分では結構有名な中小企業でした。仕事上のお得意様に案内を出しているようでした。福岡市在住の私にとって、ちょうどいいことに福岡空港が起点のツアーでした。大手の旅行会社に委託しているので、私の分の手配も簡単でした。面白いことに、ホテルでは添乗員と同室でした。添乗員をやってもいいくらい旅行好きの私にとっては、むしろ歓迎でした。行き先は中国本土で、私にとっては初めてです。香港、澳門(マカオ)には行ったことがありますが、気楽に貧乏旅行ができる普通の国ではない中国本土にはあまり興味がありませんでした。しかも、中華料理はそれなりにはおいしいとは思いますが、シンガポールやマレーシアはもちろん、世界中のチャイナタウンで、ちょこちょこ食べているのであまり執着心はありませんでした。イタリア料理ほどの執着心はありません。でも、何となく初仕事は中国本土になるような予感がしていました。まさか当たるとは思いませんでしたが。

【まずは洛陽へ】
福岡空港では、出発前に招待客同士と招待会社の社員の自己紹介があり、私は最後に同行する医者であると自己紹介しました。招待客には、中小企業の社長さんもだいぶいました。ですから、そんなに高齢者はいません。全部で30人程度です。今回は、行き先が中国なので前もって添乗員経由で、自己紹介と下痢の予防についてのパンフレットを全員に送っていました。福岡空港からは中国東方航空で上海浦東国際空港へたったの1時間半で着きました。頭ではわかっていたものの、羽田空港までの距離です。近いです。時差も1時間のみ。空港のレストランで最初の食事を取りましたが、せっかく医者の私が同行しているので、意図的に医学的な雑談をしました。下戸の私でも知ってる青島ビールで乾杯した昼食後、バスで国内線専用の上海虹橋空港へ移動し、今度は中国南方航空で鄭州へ。ところが、台風のせいか雨、風がひどく機内で延々と待たされました。予定より3時間ほど遅れてようやく鄭州空港へ着きましたが、それからバスで2時間かけてようやく洛陽のホテルへ着きました。現地のバスガイドはかなり日本語が上手なのですが、男の先生に日本語を習ったのか、「~けれども、」という口癖が印象的でした。

ホテルのレストランでは、早速のウェルカムパーティです。音楽演奏付きです。決められた席で隣の人の名前を読んでいたら知り合いの名前と一字違いで面白いなどとのんきに構えていたら、よく考えたら会社名の名字の社長さんでした。少し話しをしてから気づき、ちょっとあせりました。社長さんは一足先に現地に来ていたのでした。でも、なかなかユーモアもありそうで第一印象からいい感じでした。

その後、二次会のカラオケの部屋に移動しましたが、若い中国人ホステスが何人もつくものの、彼女等は日本語もできないし、英語もできない。だから私は中国本土にあまり興味がなかったのです。片言の英語も通じない、稀な国です。携帯電話が鳴り、社長さんから「本部」に集合ということで別室に呼ばれ、日本語のできる中国人の女性社員2人と男性社員1人と社長さんとで楽しく会話しました。

翌朝は、ホテルの目の前にある巨大な公園、牡丹公園を散策しました。この洛陽の町は牡丹で有名とガイドさんから聞いています。さすが中国です。朝から、太極拳をやっている人がたくさんいます。一部、バドミントンをしている人々もいます。後で、ガイドから社交ダンスを踊っている人々もいると聞き、翌朝確認すると確かにいました。仕事とはいえ、今回はツアーですので私の好きな気ままな時間はあまりありません。朝の散歩は貴重な時間です。少し歩き回ると普段だと気になる庶民的な食堂があります。いつものように物価チェックです。麺類が3~5元(1元は約17円)で、隣のパン屋さんで一個2~3元で菓子パンを売っています。安心しました。というのも、上海国際空港では、いくら空港とは言え、コーヒーが一杯40元と書いていてビックリしたからです。やはり、中国の物価はこんなもんでしょう。ついでに、紛らわしいのは中国語で「元」のことを Yuan と書くらしく、略して \、つまり日本の「円」と同じ略号なのです。何の略かわかりませんが RMB とも表記するようです。

近くに洛陽牡丹女子医院と大きく書いたビルが見えます。病院だと思います。中国人に聞くと、必ずしも産婦人科だけではなく、患者が女性専門の病院のようです。バスで移動中に、整形外科、形成皮膚科と書いた女子医院もあり、何となく納得しました。ちなみに、男子医院という看板もあり、性病とも書いてあり、泌尿器科医の私には複雑な心境ですが、男性患者専用の病院もあるようです。

【洛陽観光】
さすがにツアーですので、移動は全てバスで、しかも現地のガイド付きです。個人旅行の多い私にとっては新鮮です。大きなバス2台に分乗しているので、ゆったりしています。しかも、社長さんの配慮で乗る度に軟水のエビアンのミネラルウォーターのペットボトルが配られます。本当かどうか定かではありませんが、この国ではペットボトル入りの水等でも、注射器で生水を入れたりするので油断できないそうです。しかも社長さんは軟水と硬水の区別もよく知っていて、日本人には下痢しやすいカルシウムやマグネシウムの多い硬水は避けているのでした。ツアーというのは、私のように好きな所へ好きな時間に行けないのですが、決まった所に連れて行ってもらえて、食べるところも決まっているので、楽といえば楽です。でも、やはり団体行動なので私の感覚では無駄な時間も多いです。

バスは山の麓へ向かい、いつのまにかテレビや映画でよく見るような少林寺拳法をやっている子供たちがたくさんいる学校を通過しました。おそろいの服(制服?)を着ています。いかにも中国の光景です。本来は空気も相当きれいなはずのこんな山の麓でも、残念ながらスモッグで視界はあまりよくありません。喉が痛くなるマカオほどひどくはありませんが。バスの中では、前日の中華料理がうなぎかへびかで盛り上がりました。日本人の我々がへびだろうと言っても、何故か中国人のガイドや中国人の会社の参加者はうなぎだと言い張るのです。まぁ、鳩だのカタツムリだのさすがに色々な食材が提供されました。中国では、鳩は食べ物らしく誰かが指摘していましたが、どこに行っても鳩が集まって来るのを見かけませんでした。恐るべし、中国!

昼食は少林寺での精進料理でした。これは、日本の京都のような大豆等を上手に料理し、見た目も味も本物の肉や魚のような繊細な料理と違い、いかにも中国で imitation という言葉がぴったりのしろものです。しかも大しておいしくもない。その後、中国最初の仏教寺院とやらの白馬寺へ連れていかれました。日本の寺と大して変わりませんが、線香が値段に応じて馬鹿でかいのにはビックリしました。途中で一人が私の所へやって来て、頭痛がするというので準備してあった鎮痛剤を渡しました。

夕食はすぐ目の前の牡丹城ホテルでの広東料理ですが、中国の交通事情で、歩くと危険ということでバスでの移動です。ホテルの横文字の名前が peony で、ここの名物の牡丹の英単語を何故かここ中国で学習しました。昨日と同じ音楽隊だけでなく、今晩は舞踊団も来ていました。いつの時代のか、中国にしてはへそ出しルックの舞踊もありました。まだ2日目ですが、脂っこい中華料理が続くので会社が準備した日本から持ってきたソーメンが食卓に出ました。大好評でした。下戸の私には関係ありませんが、社長さんの気遣いで日本からたくさんの焼酎や日本酒も持って来ていました。私は添乗員と同じ部屋ですが、彼は毎晩打ち合わせらしく遅くまで部屋に帰って来ないので、気にせず先に寝ていました。朝も早いし、やはり添乗員は大変なようです。私は添乗員ができるくらい旅行が好きで旅慣れていますが、実際に添乗員をするのはしんどそうです。

3日目は午前中に三国志の関羽の首がある関林堂を訪れ、中国三大石窟の一つ、龍門石窟(世界遺産)を見学しました。一人、胃が痛いという人がいて、薬を渡しました。ところが、肝心の私自身の下腹がおかしいのです。痛みまではないですが、下腹がぢかぢかして明らかにおかしい。便も下痢まではいかないものの、軟便で少し近い。今回は、接待ツアーに同行しているので私としてはいつも以上に変なものは何も食べていないのに、軽い細菌性腸炎のようです。慌てて、患者(お客?)さん用に準備したビオフェルミンとパンラクミンの2種類の乳酸菌製剤を一日三回飲み始めました。おかげで何とか本格的な下痢は免れました。恐るべし、中国!

今回のツアーは、社長さんらが下見までしているらしく、悪名高いトイレも全て水洗トイレでした。それでも、トイレットペーパーがないところや、昔懐かし仕切りのない立小便トイレもあり、水圧が低くて流れが悪いらしく、トイレットペーパーやティッシューはくず入れに捨てるようになっていたりしました。尿や便を拭いた紙を捨てるくず入れがあるのです。男女共同のトイレでは、血の付いたナプキンまでむき出しで捨てていました。さすが、中国人女性は上品です。紙を準備していなかった私は他人からティッシューをもらいトイレに駆け込みました。

この日の昼食は洛陽料理ということでしたが、今一つでした。でも、今回も会社の準備したお茶漬けや、梅干が好評でした。梅干は味覚的に口がすっきりするし、下痢の予防にもなります。

【大都会、上海へ】
来る時と違って、時間的にちょうどいいフライトがあるようで、洛陽市内の空港から直接、上海虹橋空港へ行きました。私は世界中の空港へ行きましたが、この洛陽空港は記録的に小さな空港で印象的でした。空港の駐車場があまりに小さく、一つのちょっとしたビルの規模です。フライトも一日に数便のようです。もちろん、目の前の飛行機までは地上を歩いて行きます。上海でのホテルは花園飯店ですが、英語名 Okura Garden Hotel でわかるように、日系のオークラホテルです。テレビではNHKの国際放送も見れます。ここでは、さすがにバスでなく歩いて近くの錦江飯店へ行き、夕食に上海料理を食べました。さすがに上海は都会で信号もあり、交通ルールが守られているようです。ここでも、二人の二胡奏者を呼んでいました。気のせいか、都会の上海のこのレストランが一番おいしく感じました。洛陽は田舎料理だからと言う人もいました。

翌朝は、ゴルフ組と市内観光組に分かれました。私は、数が多い市内観光組に同行し、豫園、外灘(ワイタン)、そしてオープンしたばかりの百一階立ての森ビル、正式名は上海環球金融中心の展望台へ登りました。悪趣味なことに、展望台の一部は床がガラス張りで下が見えます。恐いです。ビルの形はまるで栓抜きのようで、あまり好きではありません。隣の昔からあるテレビ塔のほうが、途中が二ヶ所球状のタワーで絵になると思います。昼食は豫園の有名な小篭包の店、ディンタイフォンで食べましたが、私にはそんなにおいしいとは思えませんでした。バスの中で、降圧剤を内服中の人に頼まれ、血圧を測ると本人の自覚通り、93/55 とやや低めで下がり過ぎのようでした。すると、連鎖反応で計ってくれという人が現れます。一人は 154/90 と高血圧でした。もう一人は、114/54 と正常でした。

一端、ホテルへ戻りゴルフ組みと合流して夕食の「さよならパーティ」へ四川料理を食べに行きました。最後の夕食ですが最高でした。元々、私は中華料理の中では辛い四川料理が一番好きです。ここの激辛の麻腐豆腐はシビレながらおいしかったです。この日は音楽演奏こそなかったものの、最後に道化師が現れ、覆面の表情の早変わりの芸を見せて楽しませてくれました。この日の招待客の挨拶で、こんなに楽しい旅行は初めてだと感謝していました。そして、ソーメンやお茶漬け、ペットボトルの手配、はたまたお医者さんまで同行するという社長さんの気配りに感激していました。

その後、有名な上海の夜景を見にナイトクルーズへ昼間行った外灘の黄浦江(ファンプゥジャン)へ行きました。夜景でも、森ビルよりテレビ塔のほうが照明もきれいでした。酔った勢いであるお客さんから、先生はドクターでも薮医者じゃろうと言われました。別に気にはしませんが、さすがに自分で「空飛ぶ薮医者」と名乗るのもなぁ、などと考えていると、「空飛ぶ町医者」のほうが自分のイメージに近いかなと思えてきました。ツアーの短期間とはいえ、病気に限らず普段から接していて、いざとなったら診察する、そんなイメージです。

その帰りバスに乗ろうとすると、気分の悪い人がいるということで、慌ててもう一台のバスへ行きました。顔色が悪いので急いで血圧を測ると正常でしたので、近くの席で様子を見ていました。幸い、バスがホテルに着く頃には気分も良くなり、顔色も良くなっていました。本人はたばこを吸いたいくらい元気になったと言うので、たばこは止めときなさいと言おうとしたら、すでに吸っています。不良患者です!でも、仕方がないので黙っていました。世の中、こんなもんです。

翌朝は、バスで駅へ移動しリニアモーターカーに乗ると、10分もかからずに浦東空港へ着きました。本当は430kmくらいのスピードが出るらしいのですが、朝は何故か最高速度を300km程度に抑えているようです。こうして初めての医者としての添乗旅行の仕事は無事に終わりました。ほどよい患者が出て少しは役に立ったと思います。

後日談ですが、今回は豪華ツアーに同行したので私自身常にご馳走を食べ、帰国すると5日間で3kgも体重が増加していました。いつもなら、それでも1~2週間ですぐに元に戻るのですが、中華の油が強烈なのか中々元に戻らず、本格的に食事制限してようやく1ヵ月後に元に戻しました。やはり、中国は普通の国ではないようです。


私は本邦初の「海外旅行に添乗する専門医」で、
「空飛ぶドクター」(登録商標)と名乗っていま
す。私のサービスに興味のある人はウェブサイト
  • http://www.kanoya-travelmedica.com
  •  を参考し
    て下さい。


    (「機内にお医者さんはいませんか?」空飛ぶドクターの海外旅  行と健康管理、悠飛社、1,470円  好評発売中!)

    【旅行時期】2008/09/15~2008/09/19
    【エリア】上海
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】空飛ぶドクター

    上海病院視察旅行記(日本旅行医学会)(by 空飛ぶドクターさん)

    産婦人科 口コミ情報
    【上海初日】
    11月9日から13日まで上海へ行って来ました。今回は目的がはっきりしています。上海の病院の視察旅行で、日本旅行医学会のプロジェクトです。現在、上海がニューヨークを抜いて、世界一日本人の駐在員とその家族が多いそうです。日本人の駐在員や旅行者が安心して入院できるレベルの病院かどうか、我々医者の目で確認するのが目的です。ですから、渡航費、ホテル代は学会から出ます。私は9月と同じ中国東方航空で福岡から直行便で上海浦東国際空港へ飛び、東京からの三人(二人の医師と中国人の通訳)を待ち、空港で合流しました。今年は9月の医者として初めて同行した中国ツアーが洛陽と上海でしたので、短期間に二度目の上海です。今まで近いのは知っていてもあまり中国本土には興味ありませんでしたが、実際に行くと福岡からはあらためて近いです。ちょうど、羽田までと同じ時間しかかかりません。正反対の方向ですが。

    それから、観光で有名な海灘(ワイタン)地区にあるホテル(恒升半島国際酒店)へチェックインし、夕方、日本人用クリニックである上海グリーンクリニックで働いている一人の日本人医師にロビーに来てもらい、色々話を聞きました。そして、日程的に一番余裕があるので、夜は上海雑技団(China Circus World)をみんなで見に行きました。7月に久しぶりに訪れたラスベガスでのショーを思い出しました。食事は近くのレストランでしたが、魚等の素材を目の前で指定して料理してもらうタイプでした。中々全ておいしい中華料理でした。少し、レストランがうるさいので隣の会場を覗きに行くと、結婚式をやっている様子で、しばらく見学しました。基本的には、あまり日本のと変わらない印象でした。

    【上海二日目】
    今回の病院視察一番目は、午前中に2004年までは上海第二医科大学と呼ばれていた上海交通大学医学院附属瑞金 (Ruijin) 医院を訪れました。かなり立派な病院で、応接室でまず副院長と日本語のできる、つまり日本に留学経験のある女医さんと事務員が応対してくれました。最初に、病院宣伝用のビデオを見せてくれました。

    この病院はフランス人による創設らしく、そのため今でもフランス語や英語のできる医者が多いそうです。もちろん、日本に留学した医者も多いそうです。肝、心移植が中国で最初に行われたのが自慢らしく、白血病の研究、火傷の治療でも有名だそうです。この病院には直接受診することも可能なようで、救急車(120番)を呼んだ場合、病院指定も可能だそうです。医学部には30~50名の留学生(アフリカからも)がいるそうです。よく知られていることですが、アフリカはフランスの元植民地も多く、従ってフランスとの結びつきが強いのです。遠くここ中国まで留学生がいるのは、この病院がフランス人による創設という歴史と関係あるのでしょう。

    中国でも有数の24時間対応の PTCA(要するに、カテーテルによる心臓手術)グループがあるそうです。90%の医者に留学経験があるそうで(多くは欧州)、同じ敷地内に外国人専用の病院もあります。日本語の通訳もあるようですが、料金がやや不明瞭で、外人は薬代以外、全て3倍の値段がかかるそうです。全室、個室です。

    この日の午後は「中山医院」へ向かいました。まだ、中国語の「医院」が「大きな病院」を意味すると言うことが今一ピンときてない私は、日本にもありそうなちんけな「中山クリニック」のイメージで病院へ向かっていました。ところが、自分が間違っていると言うことに到着するとすぐに気が付きました。門を入ると広い敷地に、建物がいくつもあり、右手には建物の前に銅像があります。「中山」とは「なかやま」ではなく、あの中国の革命家、孫文の別名、孫中山「ちゅうざん」のことで、中国語で「ゾンシャン」と発音するらしいのです。要するに、ちんけな医院どころか、孫文由来の由緒ある病院らしく、よく読むと復旦大学の附属病院でした。

    この病院では、専門が私と同じ泌尿器科の院長や北大博士号を持つ形成外科医らが応対してくれました。230例の心移植の経験があり、肝癌の治療で有名らしく、肝移植後の5年生存率も40%とかなりのレベルの病院のようです。院長が泌尿器科だけあって、泌尿器科もかなりのレベルのようで、腎移植も多数例やっており、ESWL(体外衝撃波による腎・尿管砕石術)や HIFU(超音波による前立腺の手術)も多数例やっているようです。

    敷地内には外人専用病院である逸仙(これも孫文の別名らしい)病院があり、日本人が入院する場合はこの病院になるでしょう。印象に残ったのはこの中山医院を訪れたのは午後なのに、吹き抜けの広い一般外来待合室は非常に混雑していました。電光掲示板があり、色々な案内が流れます。かなり広々とはしているのですが、それ以上に人が溢れかえっているのです。人口の割に病院が少ないのでしょう。中国は政治的には共産主義ですが、病院でも医者のランクにより診察料金に差があり待合室に明示しています。教授も研修医も同じ料金の社会主義的な日本の病院よりはるかに資本主義的です。

    夕方には、この日3つ目の上海浦東森茂診療所の内科の日本人医師と面会しました。この診療所も日本人専用で4~5人の内科医と小児科医がいます。駐在員の子供を診てもらえるということで大事なようです。場所は第一森ビルで、最近できた有名な観光地でもある(第二)森ビル(9月には私は展望台まで登りました)の近くです。この先生は神戸大学出身らしく、まず3年間大連の病院で働いて、上海のこの病院へ移って2年目らしいです。

    彼も夜は予定が空いていたので、我々四人と一緒に大榮府というレストランで食事をし、色々上海および中国の情勢について聞くことができました。早くも、2日連続名物の上海蟹を食べています。おいしいですが、私は勝手にタラバガニのような大きな蟹を想像していました。メスがオスより高く、小さいせいか一匹30~60元(今回は1元が14円程度)とそんなに高くありません。但し、そんなに感動もしなかったのが正直な感想です。おいしくないことはないのですが、タラバガニのようにカニ足の大きな果肉を食べる方が好きです。彼は海外旅行傷害保険の Cashless service は便利だけど、査定が甘く問題が多いと言っていました。その他、中国らしく医療の世界でも色々な悪い連中が暗躍していて、料金等がかなり不明朗だと言っていました。本人はそろそろ日本に帰りたいそうですが、奥さんが日本では経験できない中国での生活が止められず、帰国できないそうです。出発前は反対していても、慣れると日本では経験できないような贅沢な生活を覚え、奥さんが帰国に反対するようになるのが一般的なようです。

    【三日目、11日】
    2ヶ月前の中国旅行で体重が増え、戻すのに苦労したので今回はジョギングの準備もしています。朝、少しホテルの周りを走りました。周りは結構貧民街でした。でも、ビルもあります。デパートらしき建物があったのですが、笑ってしまいました。大きく書いてある宣伝にです。 Chsedo と書いてあり、漢字でも自然堂です。もちろん、Shiseido、資生堂のコピーというのが見え見えです。同様にあるトイレで、 HOTO というブランドも見つけました。もちろん、これも TOTO のコピーに間違いありません。やはり、中国では何でもコピーされるのでしょう。

    この日の午前中は、上海交通大学附属第六人民医院を訪れ、副院長、事務局長が対応してくれました。市内南西部に位置し、立派な中国庭園がある病院でした。整形外科、マイクロサージェリー(指切断後の再建術など)が有名だそうで、糖尿病の治療も有名で麻酔科もしっかりしているそうです。泌尿器科でも、尿道再建術で有名だそうです。但し、精神科はなく、火傷の治療もやっていないそうです。

    救急患者は3級(日本の三次)急救(日本語と漢字が逆)で、緑色(green pass)優先で外人は優先的に診てもらえます。つまり、日本人の旅行者などが上海の病院を受診する時は、例えばこういう3級急救を受診すべきです。急診(急患)とも書いています。一般の受付に行くと、日本語も英語も通じないし、大変な混雑でとんでもないことになります。大事な情報です。ここにも特需室があり、入院の場合は同じく外人用です。日本語のわかる女医さんもいるそうです。もちろんここなら英語は通じます。ここの特徴として、かなり大きな高圧気船(酸素)室(hyperbaric oxygen chamber room)を備えています。ここも最新の CT や MRI の検査機器もあり、心臓カテーテル手術もかなりの症例をこなしているようです。

    午後は、復旦大学附属華東 (Huadong) 医院を訪れました。今まで見た大学附属病院の中では、やや規模も小さく古い感じでした。名刺に東京医科歯科大学博士号を強調した医者などが応対してくれました。1951年に外交官の病院として出発したそうで、
    2000年から附属病院になったようで、42の科があります。特需部という外人の多い(日本人も)病棟もあり、以前は外人専用だったようですが、今は中国人 VIP および富裕層もかなり入院しているようです。80%の医者が英語か日本語ができるそうで、ナースも半年以上日本に留学した人も多数いるそうです。

    急救部専用の病棟もあり、一日 1000~2000 元と少し高いようです。放射線科は名古屋大学と提携しているようで、CT や MRI も日本と同じ最新式のものが使われています。

    今まで、昼食も夕食も中国人の陳さんがレストランを選んでくれて、さすがにどこもおいしかったです。でも、ふと気が付くと大量に注文するものの、健全に野菜料理が多いのです。私自身は野菜が好きだし問題はありません。そのせいか、今回はジョギングもしたし、帰国後もほとんど体重は増えていませんでした。

    でも、陳さんが風邪でダウンしているので、この夜からは夕食は我々日本人だけでした。今回も同行している専務理事の篠塚先生が詳しく、人民広場の黄河路にある美食街で、安くておいしそうな店に入りましたが、全て正解でした。次の夜もこの一角に来ましたが、同じく安くておいしい店でした。

    【四日目、ハイライト】
    この朝もジョギングしました。昨日と違って、ビルの谷間の反対側を走りました。しばらく走ると、第一人民医院というかなり大きな病院が見えました。確か、最後の日に訪れる予定の病院の名前がこんな名前でした。ひょっとしたら、最後の日にこの近くの病院訪問を入れているのかもしれないと思いながら、走っていました。でも結論から言うと、同じ名前の病院が南部の郊外にもあり、私が見たのは北部というか中心街にある病院でした。郊外のはもっと巨大な病院でした。後述します。

    この日は、市内北東部に位置する上海交通大学医学院附属新華 (XinHua) 医院を訪れました。結論から言うと、今回視察した上海の病院で総合的に日本人に一番お薦めの病院です。関連病院として、上海児童医学中心と言う名の有名な子供病院もあります。今回は訪問しませんでしたが、子供には絶対この病院がいいようです。それもそのはず、歴史的には、紅十字病院で小児病院として発展したそうで、小児心臓手術や双胎分離術などで有名なようです。

    今年創立50周年のようで、病院のスタッフも我々日本旅行医学会の視察団を大歓迎してくれました。呼吸器科が専門の徐院長、女医さんで埼玉医大と久留米大学に留学経験のある日本語が堪能な段先生、他多くの医者や事務員が応対してくれました。段先生に久留米ラーメンはどうだったと聞くと、とてもおいしかったと言っていました。そう言えば、上海では久留米に近い熊本ラーメンのチェーン店、味千ラーメンの看板をたくさん見かけました。
         
    救急外来ももちろん充実していますし、一言で言えば、近代的で清潔で広々とした病院です。透析室も広々として清潔で、一日3回転(午前、午後、夕方)しているようです。感染予防のために、B型肝炎患者と非B型肝炎患者を分離した部屋で透析しています。全部で40~50台の透析台があり、まだ余裕があるようです。つまり、日本からのツアーの患者の透析等も受け入れ可能なようです。
      
    心臓カテーテル手術も経験豊富で、もちろん留学経験のある心内科の王先生が中心です。 CT および MRI も最新式のものがあります。特需(VIP)室は14床で、今は 90% が中国人富裕層だそうで、料金は中国人が 1,500元、外国人が 3,000元です。但し、豪華な病室ですが、珍しくテレビは液晶ではなく、ブラウン管でした。と言うのは、今まで見た他の病院の特需室では大きな液晶テレビがありました。だいたいどこの特需室も、二つのベッドの部屋を個室として使っていました。たぶん、付き添い者が寝れるのでしょう。

    我々が大歓迎された証拠に、院外の高級なレストランへ出かけ、院長はじめ10数人のスタッフと我々視察団で豪華な昼食を食べました。これが中国式の歓迎のはずです。

    午後は病院に戻って、いよいよ具体的な提携などの話し合いになりました。例えば、お金の支払いは直接日本の AIU保険や東京海上火災保険で行うというものです。他の病院では、どうも色々な仲介があり、料金がかなり不明朗で北京と比べても格段に値段が高いというのが上海の問題点だからです。我々からの提案として、
    病院内の表示を中国語以外に、英語、日本語、できれば韓国語もと申し出ました。受診の手順の flow chart もあればわかり易いとも提案しました。

    日本語通訳も前もって電話予約しておけば可能だということです。医者だけでなく、ナースや管理者の日本への留学を希望するということで、日本旅行医学会との積極的な交流を希望していました。フロリダの大学とはもう5年間の交流があるそうです。

    この日は、新華医院で時間を費やしたので、午後3時半頃に次の第二軍医大学東方肝胆外科医院を訪問しました。肝癌専門の病院で、非常に有名な院長自ら応対してくれました。アジア最大の専門病院で年間30万人もの患者が訪れるそうです。肝細胞癌と胆管癌のみを扱っており、救急外来はありません。中国にこんな立派な専門病院があるとは知りませんでした。ある意味、驚きです。でも、我々の今回の視察の目的はメディカル・ツーリズム(医療観光)、つまり治療が目的で海外へ旅行する、ではなく、あくまでも海外旅行者や上海在住の日本人が受診する可能性の多い病院を調べに来たので、この病院はそういう意味ではあまり重要性はありません。

    最後の夜なので、夕食後は一人で按摩(マッサージ)の店へ行きました。朝のジョギングで辺りを散策して様子がわかっています。朝と夜ではずいぶん顔が違いますが。260~380元程度の値段のマッサージが多いです。でも、明らかに怪しいマッサージの店もあります。下着姿のような女性の格好を見れば一目瞭然です。もっと安い30元の足つぼマッサージの店に入りました。結構45分くらい真面目にやってくれました。でも、隣で友達らしい3人がトランプをして遊んでいます。この辺のいい加減さは私には気になりません。こういう国は多いです。盛んに肩マッサージもどうかと誘われます。足つぼマッサージが値段の割に満足できたので、了解しました。そしたら、薄暗い二階へ連れて行かれました。今度は回りに誰もいません。でも、しばらく肩マッサージをまじめにしてから、さかんに彼女の手が股間にやって来ます。やはり、下心があるようで逃げ帰って来ました。そんな予感がないこともなかったのですが。

    【最終日】
    今日は帰国の日ですが、最後にやや市内から遠く南部郊外(松江地区)に位置する交通大学附属第一人民医院(上海市第一人民医院)(Shanghai First People’s Hospital)を午前中に訪問しました。いつものように、朝のラッシュを避けるために、タクシー、地下鉄、タクシーを乗り継いだのですが、2時間近くかかりました。2010年の上海万博の会場の近くらしいです。ドイツ人設計の近代的な巨大な建物のかなり大規模の病院です。そして、近くに三角形の会議場も所有しています。副院長はじめ多くのスタッフが応対してくれました。他の多くの病院と同じように、まずプロモーション用のビデオを見せてくれました。

    この病院は歴史があるようで、1864年に総合病院として開設されたようで、1953年に上海市第一人民病院となり、市内中心部、虹口地区(たまたま我々のホテルの近くで、ジョギング中に見つけた病院)に現在改築中のと、今回訪れた郊外の2ヶ所に同じ名前の病院があるようです。ここも医者の多くは、ドイツ、アメリカ、日本などへの留学経験があるようです。

    北部(虹口地区)と南部(松江地区)の二つの同名の病院で、医者が月、水、金と火、木で移動(要するに、二つの病院をローテート)するようです。日本ではこんなシステムはあまり聞いたことがありません。

    この病院(松江地区)の説明は、ややこしく、二つ合わせてなのか単独なのか一部不確かです。いずれにせよ、1,580 床で、年間手術件数が 17,400 例だそうです。産婦人科と小児科が特に有名らしく、検診にも力を入れているそうで、在留日本人患者もだいぶいるようです。がん検診で有名な PET-CT もあるそうです。乳がん検診用のマモグラフィもあり、日本人受診者もいるそうです。心臓カテーテル手術もたくさん施行し、救命率も高いそうです。外人は特別扱いの透析室(北部に16台、南部に20台)もあり、一透析当たり800元程度のようです。伝統医療である漢方もあり、学会発表や論文も多数だそうです。

    北部と南部の両病院に国際医療保健中心という名の外人用病棟もあり、日本、米国、東南アジアの患者が多いそうです。外人は
    Green pass 扱いで、優先して診てもらえるようです。ここには、山梨へ留学経験のある日本語のわかるナースが1人いました。英語はほぼ全員通じるそうです。但し、今は70%が中国人の患者だそうで、料金も高いのでもちろん富裕層に限られます。今まで、脳出血、心筋梗塞、外傷、肺炎などの患者が入院したそうです。

    一通り病院見学が終わったところで、女医さんから昼食に病院の食堂に案内されました。もちろん、大した食事ではありません。大歓迎された新華病院とは雲泥の差です。我々がそんなに歓迎されてないことがわかります。しかも、ここの昼食を食べた後で私は吐き気を催しました。病院の食堂であたったのでしょうか?幸い、しばらくして自然治癒しましたが。確かに二度目の中国は、特に上海はおいしいのですが、やはりこのように下痢や吐き気などの心配が拭えません。この国のあまりにも極端な貧富の差が改善されない限り、何でもありのこの国では食に関しても同じでしょう。食いしん坊の私ですが、さすがに安心して食べれないようではおいしい以前の問題です。残念です。

    いよいよ帰国です。タクシーと地下鉄で駅へ移動しリニアモーターカーに乗り、10分もかからずに浦東空港へ着きました。2ヶ月前に乗った時は、朝なので何故か最高速度を300km程度に抑えていましたが、今回は実際に430kmくらいのスピードを体験できました。いずれにせよ、乗っている時間はたったの10分間程度です。


    私は本邦初の「海外旅行に添乗する専門医」で、
    「空飛ぶドクター」(登録商標)と名乗っていま
    す。私のサービスに興味のある人はウェブサイト
  • http://www.kanoya-travelmedica.com
  •  を参考し
    て下さい。


    【旅行時期】2008/11/09~2008/11/13
    【エリア】上海
    【テーマ】ボランティア
    【投稿者】空飛ぶドクター

    バングラデシュへ3(by buchijoyceさん)

    産婦人科 口コミ情報
    12月18日(金)

    食事に行って戻ってくると、ドアをノックする音。開けるとボーイが立っている。明らかに東洋系の顔立ち。ランガマティの少数民族の出だろう。「アッサラーム アレイクム」と挨拶すると「私は仏教徒です」という返事。「仏教徒はなんて挨拶するの?」と聞くと「・・・」と答えた。耳の悪い私には聞き取れなかったので2回繰り返すと「いいです」という身振りをして戻って行った。あれ、なんの用事だったんだろう。


    まずはマハムニ寮を訪問するのだ。チッタゴンから1時間半ぐらいかかるという。バスの中でサデク君に聞いた。「仏教徒はアッサラーム アレイクムは使わないんだって。だれもは使えるような言葉ないの?」「あります。Good morningのような言葉です。でも、一般に通じるかどうか」「一般の人に通じなければ意味ないよ。それにしてもアッサラーム アレイクムはアラビア語でしょう。なんで一番使う挨拶にベンガル語を使わないんだろうね。」そういえば他の国でもムスリム同士はアッサラーム アレイクムを使うが、ムスリム以外ではマルハバを使うと聞いたような覚えがある。バングラデシュはイスラムが国教で、85%以上がムスリムだから、アラビア語を使うといえば分からないわけではないが、この国の革命を思い出せば、東西パキスタンの公用語をウルドゥ語にしようとしたことに端を発している。それに抗議して死んだ学生たちの記念碑がダカ大学の構内にも、他の大学にもあったんだが。


    子どもたちへのお土産のボールを買うためにスポーツ店に寄ってもらった。買い物はまかせて私はバスで待っていた。ほどなく「いまバングラではバドミントンが流行っているんだって。だからバドミントンとサッカーボールとバレーボールにした」と言いながら荷物を抱えてきた。ごくろうさま!きっと子どもたち、よろこぶよ。


    通り過ぎる村の様子を走るバスの窓からコンパクトデジカメでいい加減に撮っている。シャッターを押しても2秒ほど遅れるので、どこが撮れるかわからない。ほとんど捨てることになる。ここらへんは竹が多い。


    マハムニ母子寮に着いた。門の外に代表のノトゥさんが出迎えてくれた。「ノトゥさんですか」とたずねるとにこやかにうなずいた。すると横から日本人の顔。「あれ、日本人がいる!」と思わず叫ぶと「山田真です。私がご案内します。」「えっ、写真家の山田さん?船舶解体の写真を撮った・・」「そうです」それはそれは願ってもない方にお目にかかった。「もっと年配の方だと思っていたら、お若いんですねぇ」おばさんは変なところに感心している。もっとも若いからああいう写真が撮れるのかも。

    山田さんの写真「チッタゴン船舶解撤場の現状」:

  • http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/110_3.php


  •                              
    まずは事務所に招き入れられ、ご挨拶。青木さんからの手紙と用意してきた私のドネイションをノトゥさんに渡す。日本語にしたマハムニ寮の経緯をみなに配ってくれた。
    マハムニ寮の紹介は、
  • http://mahamuni.dreamblog.jp/blog/7.html



  • 1971年、渡辺天城(てんじょう)さんという僧がパキスタンからの独立戦争で親や夫を失った貧困に苦しむ子どもや女性を助けることから始まった。天城さん亡き後、福井さんという僧が継いだが、その方もガンでなくなり、いまは卒業生のノトゥさんが責任者をしている。今は地元の協力も得られるようになった。                                

    山田さんがマハムニと関わって10年になる。バングラデシュは国土が狭い上に人口が多い。土地は高い。なかなか自作農は始められない。マハムニも村から畑を借りて、米作りをしている。その稲刈りが明日なので、取材に来て、その後、宮川先生を取材するのだと言う。マハムニの課題はここを出た子どもたちの受け入れ先の開拓だろうという。日系企業にも話をしているそうだ。企業的センスのある,政治力のある人がいるといいんだけどね。宮川先生のところの看護学校にひとり入学できることになったとも話してくれた。


    子どもたちの様子を見に教室に行くと、子どもたちはにこにこしながら「おはようございます」「いらっしゃい」と日本語で挨拶する。子どもたちに「勉強はたのしい?」と聞くと、口々に「たのしい」という答えが返ってきた。山田さんも「私は不意に顔を出すんですが、いつでもまじめに勉強していますよ」と付け加えた。学級崩壊なんてないんだね。


    子どもたちの宿舎を見たり、炊事場を見たりして、校庭に出ると、子どもたちが集まっている。どうもお土産の贈呈式をするようだ。MR.に挨拶をしてもらい、それをサデク君が通訳してくれた。記念撮影をするというので、みんながそれぞれにカメラをサデク君やファルク君に渡し、シャッターを切ってもらっている。みんなに向かってサデク君が「ハシムケ」と叫んでいる。まねして私も「ハシムケ!」というと、みんながどっと笑った。「ハシムケ」とは「笑って」という意味だった。                                       

    子どもたちはすぐさまもらったバドミントン、サッカーボールやバレーボールで遊びだした。それでも何も出来ない子どもたちもいる。それを見て、「もっと買ってきてやればよかったね」とFさんが言った。


    入り口近くに渡辺天城師の記念堂がある。胸像を祀ったその上に南無妙法連華経の文字をみた。「日蓮宗なのですか?」と山田さんに聞くと「渡辺さんは日本山妙法寺の坊さんで、藤井日達さんの弟子でした」と言う。あらま~、マハムニの話は聞いていたし、渡辺師のことも聞いていたが日本山の坊さんだったとは聞いていなかった。「藤井日達さんはよく存じ上げていますよ。家にもよく見えていたし。日達さんはガンジーとも親交が深く、仏教をインドに返したいとおしゃっていましたよ。なるほど、日本山の坊さんなら、こういうことも。これもお引き合わせかも」と私はうなった。
    山田さん、ノトゥさん、子どもたちに見送られて、次の訪問地チャンドラゴーナに向かった。

    病院に着いた。サデク君が宮川先生を呼びに行った。ほどなく白衣を着た先生が現れた。Fさんが皆を代表して院長に挨拶に行った。そのままバスで先生宅に、といっても病院から数十メートルなんだけど。お弁当を先生宅で取らせてもらうようだ。そういえば、ネパールでも木村先生宅にお邪魔したっけなぁ。預かってきたダンボールを渡し、これで任務完了。

    食事をし、先生の活動を紹介するスライドを見せてもらった。初めての人もいるので、これはわかりやすい。ついでに今回携えていった「バングラデシュを知る60章 (第二版)」に宮川先生も「それでも命は待ってくれない」を執筆していることを紹介した。

    そのあと病院内を案内していただいた。宮川先生は若いとき、ネパールで医療活動をしていた岩村昇医師の講演を聞いて、自分も地域医療に携わりたいと医師の道をすすまれたのだときいた。岩村昇さんの著書「ネパールの青い空」には私も大きな影響をうけている。宮川先生は夢かなって医療に従事しているが、夢に付き合わせてしまっている奥さんには感謝していると言っていた。夢はひとりより二人の方が大きく膨らむ。奥さんの理解があればこその日々だろう。理解者がいて、それも最愛の人が理解者なんだから、先生は幸せですよ。

    内科、外科、小児科、産婦人科と病室をまわる。先生は患者一人一人に優しく話しかけている。赤ちゃんが生まれて、家族こぞって心から喜んでいる、心温まる景色だ。健康に育つことを祈るのみ。検査室でマラリア菌をみせてもらった。ネパールでは結核菌とサナダムシの4つある口をみせてもらった。だからマラリア菌はみたかったんだ。分かりやすく赤い点を入れてくれたが、素人には単にまるい点に赤が入っていることしか分からない。顕微鏡で見る限りは迫力ないなぁ、しかしこれが悪さを引き起こすんだ。タイでマラリア撲滅に来てマラリアにかかってしまった若い人に合ったことがある。日本だって、戦中までは八重山諸島ではマラリア蚊が猛威を振るっていたんだ。私は島民から直に体験談を聞いたことがある。西表島の海岸には「忘勿石」が立っているよ。ネパールだって、タルー平原はマラリア蚊の生息地だったんだよ。

    そして最後にハンセン病棟に行った。ハンセン病は聞いてはいたが、実際に患者さんに会うのははじめて。先生の説明だと、ハンセン病は感染症だが、ハンセン病菌はとても弱い菌だそう。ただ潜伏期間が長いので感染したかどうか早期判断が出来ない、また発病してもハンセン病に対するまわりの偏見も根強く、隠していることで病気を重くしてしまっている。先生は本当に優しく、患者一人一人の患部を触りながら病状を説明する。患者は素直に受け答えしている。これこそ医療の原点だ。患者に接しているときの先生の優しさ、全身からにじみでるような優しさ、カメラを向けたい衝動に駆られたが、どうしたら優しさを表現できるんだろう、その表現方法が見つからず、とうとう一度もシャッターを切ることは出来なかった。先生はいつでも自由に写真を撮ってかまいませんよ、とおっしゃったが。

    病気は止めることが出来るが、手や足が曲がってしまった人たち、どうしたらこの人たちの社会復帰が出来るんだろう。若くして発病してしまった女性の未来に打ちひしがれる思いだった。壊死してしまった足を補う部品を作っている工房も見学した。靴のBATAが底は硬く、内部はやわらかい材質を提供してくれているという。
    「何か質問がありますか」と先生。「話には聞いていましたし、本も読んでいささかの知識もありましたが、実際にハンセン病の患者さんにあったのははじめて。言葉もありません」と私。私たちもショックだったが、同国人のガイドたちは初めての体験で、もっとショックだったようだ。

    病院から程近いところに小さなバザールがある。休憩中だからと先生が連れて行ってくれた。いろんなお店が並んでいる。このバザール、気がついたのは薬屋さんが多いことだ。例えが悪いかもしれないが、病院の門前町みたい。この方が薬が買いやすいのだそうだ。

    病院をバザールに下ると川があった。ただし、その川は白い物質で覆われていた。上流に製紙工場があるのだという。公害だねぇ。おそらくそのヘドロだろう。当時の悪臭の田子の浦を思い出した。水質検査しなくていいのかねぇ。気になった。

    先生一家に見送られてバスはランガマティに向かう。ランガマティは丘陵地帯で以前からモンゴロイド系の民族が暮らしていた。13の民族がそれぞれの文化を守って暮らしている。仏教徒が多い。バングラデシュ独立で併合されたはいいが、力を背景にした政府の強引な政策で、少数民族はその権利を奪われてしまった。イスラエルが入植者を送り込んでいるパレスチナとよく似ている。当然のことながら、少数民族側は反政府運動を展開する。そのため分離独立を求める紛争が起こり、平和協定は結んだが、まだ火種はくすぶっていて、外国人がこの地に入るには政府の許可証が必要だ。
    参考:
  • http://www.jummanet.org/


  • 緊急署名のお願い:

  • http://cht-global-voices.jp/index.php


  •                              バスは何回も止まり、許可証を見せたりと、なにやら交渉をしているようだ。
    行きかう人々の顔も、アーリア系からアジア系になってきた。民族衣装も変わってきた。この辺りで一番多い民族はチャクマ族だという。

    先ず、パナビハール寺院を訪問。ここの開祖はボノ・バンテという僧で20年も森の中で修行をされたのでこの名があるとか、ボノはボンと同じく森を意味する。お堂の周りの手すりに三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の像がはめ込まれている。三猿はエジプトにもその教えがあり、シルクロードを経て日本に伝わったと聞いているが、藤井日達さんがガンジーに三猿の置物をお土産に持って行き、ガンジーがとてもよろこんで、教えにも使っていたという逸話を聞いている。

    講堂では糞掃衣をまとった修行僧たちがお祈りをしていた。ほどなくお祈りが終わってぞろぞろと僧たちが出てきた。年配の僧に声をかけると、あの建物の二階に高僧がいる、会えるから会っていきなさい、と教えてくれた。で、建物の中に入っていく。廊下を回り階段を上ってさらに奥に行くと、そこは広い講堂。壁の傍には信者と思しき人たちが座っている。私たちも入って座れと言われた。入り口近くにまとまっていると、もっと奥にいってもいいと言われ、中にすすんだ。車椅子に乗って頭巾をかぶった93歳のボノ・バンテ師が、車椅子を押してもらい講堂内をゆっくりと回ってくる。老僧は頭をたれたまま。しかし私たちの前に来ると、頭を上げ、右手でなにやら、祝福をするような仕草をしてくれた。サデク君が、日本からはるばる来たのだと伝えておいたのだそうだ。

    ホテルは森の中の国営のホテル。2階なのでエレベーターはない。バスタブもない。私たちの部屋は階段の上がり口。ドアを開けると中は網戸。窓も中がわは網戸だ。蚊取り線香をつけようと思ったが、大丈夫そうなので焚かなかった。食事はホテルで、宮川先生が差し入れしてくれた辛い味のついたチャパティを温めて頂いた。結局シャワーも浴びず、窓も締め切ったまま寝てしまった。厚い毛布が置いてあったので、他よりは暖かく眠れた。










    【旅行時期】2009/12/16~2009/12/25
    【エリア】チッタゴン
    【テーマ】
    【投稿者】buchijoyce

    2008 アメリカ・グランドサークル旅記 0922-04(by morikensさん)

    産婦人科 口コミ情報
    明日は、グランドキャニオンに出発である。

    また早朝出発と長距離のドライブに備えてガソリンを満タンにしてからモーテルに戻る。
    モーテルでシャワーを浴びてから、日がまだ高いのでメインストリートを歩きながら夕食が食べれそうな店を探す。

    日本でペイジにあるレストランの口コミ情報を漁ったときに、メキシコ料理の店がまずまずの人気とあった。
    たまにはタコスでも食ってみるかと、それらしい店を探してみる。

    通り沿いにタコベルがあったが、これは問題外。
    さらに歩くと青い看板に「FIESTA MEXICANA」という店を見つける。
    日本で情報収集したときの店の名前は覚えていない。

    まあ、ここだろうと店内に入ってみる。
    午後6時で外も明るいせいか店内も客はまばらである。
    一人と伝えて窓側の席に案内される。
    まずは、ビール・・・もちろんコロナビールを注文して、3アイテムのフィエスタグランデという料理も注文する。

    しばらくしてよく冷えたコロナビールがジョッキと一緒に運ばれる。
    う~む、コロナは死ぬまでラッパ飲みでしょ。
    そして運ばれてきた大皿の料理。

    さっそく食べてみるが、味はまあまあかな。
    量が多くてやや残しました。
    お会計16ドル。
    まあこんなもんかなっと。

    モーテルに戻って洗濯物を抱えて同じく通り沿いのコインランドリーで洗濯をする。
    待ち時間を利用して近くのスーパーで買い物をする。
    買い物が終る頃には洗濯も終わり、モーテルに戻って明日の出発の準備をする。

    明日も早いのでとっとと寝ることにした。

    【旅行時期】2008/09/18~2008/09/26
    【エリア】ページ
    【テーマ】
    【投稿者】morikens

    【10月 3連休】GUANGZHOU in Zhujiang yeyou(by としちゃんさん)

    産婦人科 口コミ情報
    路線バス(2元:空調車)と地下鉄(4元)乗り継ぎで
    クルーズ乗り場の川に到着しました。

    非常にきれいです。
    口コミ情報ではクルーズからの夜景もいい!
    と書いてあったので、食事なしの格安クラスに乗船しました。

    階級によっても値段が異なりますが。出港時刻によっても若干
    値段が違います。サービスメニューも異なります。

    デッキで眺めが見られればいいので、食事とかの
    サービスはいらないので、一番安いクラスにしました。

    近距離のクルーズですが値段相応の内容でオススメです。

    乗降場住所:広州市沿江東路406号 西堤フェリーターミナル
    19:25分までの出港ならば,78元からになります(Set Meal&Tea)
    20:05分以降の出港も78元からですが,Teaのみしかつきません。
    最高128元ですが,座席や階層の違いだけでfruitが別途つくプランだけでした。

    バイキングなどを楽しみたい方は,別のフェリー会社を
    選択したほうがいいです。多数のクルーズ会社がありますので
    TPOに合わせた選択がいいでしょう。

    【旅行時期】2009/10/10~2009/10/10
    【エリア】広州
    【テーマ】クルーズ
    【投稿者】としちゃん